2014.1.14~2.10 60代ご夫婦
    

     海南島に来る前から、私たちはこの島のことを聞いていました。海南島は気候が温暖で風景は美しく、おいしいものがたくさんあり、すべての中国人が、ここで過ごしたいと願う、憧れの地である、そのようなことです。ハルピンにある大学の日本人外教である私たちは、今年の冬休みが始まると同時にここに来て中国語を学びたいと、相談しました。
 林由恵先生が、チョンハイ孔子学校と私たちとの連絡を、手助けしてくださいました。
 多くの人が、海南島の魅力について述べていますが、実際に来てみると想像していた以上にすばらしい所でした。言うまでもなく温暖で、景色は優美で、環境は静かで素晴らしく、そしてこの地の全ての人々が、私たちに対して親切でした。
 ある日、私たちは散歩していました。3人の、バイクに乗った若者と逢いましたが、その中の一番若いと思われる1人が、大きな声で「こんにちは!」と声を掛けてくれました。とても綺麗な日本語でした。もちろん、商店の人、鉄道駅の服務員さん、王裕秋老師の家の近くの人々、すべての人がやさしく親切に、友好的に私たちに接してくれました。三輪タクシーの運転手の梁先生の笑顔と笑い声は、決して忘れることができません。
 王裕秋老師は私たちの恩人です。老師は「好朋友」であるとおっしゃいましたが、日本人として「同等の友人」とあらわすその字を使用することには抵抗があります。やはり、「恩師」であり「恩人」がふさわしいと思います。今年の7月には私たちは日本に帰りますが、海南島を思い出すということは、王老師を思い出すということです。もし日本で鳥を見たら、王老師の家を思い出します。老師の家には、たくさんの鳥がいましたから。「孔子」の文字をみるたびに、王老師を思い出します。私たちの記憶力はよくありませんでしたが、王老師は毎日、毎時間、懇切丁寧に教えてくださいました。その結果、私たちの中国語は着実に進歩したと思います。
 ある日老師は、“人有悲歓離合、月有陰晴円欠。”という蘇東坡の詩の一節を読んでくださいました。その意味はわかりますが、仙窟村にいる日々、私には別れの悲しみがあるとは思えませんでした。毎日毎晩、満月の元にいるような安らぎと喜びがありました。でも、今、「これを書き終わったら20本ほど歩いてパイナップル畑を見に行こう」と思い、すぐに「ここはもうハルピンで、私はもう海南島にいないのだ」と、気づきました。
 海南島の食べ物は本当に美味しく、いったい何種類の美食に接したかわかりません。張老師の作られる料理もその奥様の作られる料理も、すばらしいものでした。奥様の人柄はとても心を和ませましたし、その子息の宝得さんには、移動の際にお世話になりました。どれほどの距離、どれほどの場所、彼の運転する車で連れて行ってもらったのか、もう数え切れません。張老師はご家族での訪日の希望を述べられましたが、日本に来られた際、歓迎と恩返しのために何を作って差し上げたらよいのか全く考えることもできません。それほどお料理の達人でした。
 王老師の母上様は、毎朝、その日の天気と気温について私たちに教えてくださっただけでなく、いつも温かい言葉で私たちを励ましてくださいました。
 海南島にいた日々は、中国語の学習はもちろんのこと、農村での生活体験、人々との交流、苗族の村訪問、全部が決して忘れられず、また意義のあるものでした。
 王裕秋老師と、海南島の全ての人々に、あらためてもう一度、感謝申し上げます。
 
       二〇一四年二月十五号  中 寛信